名古屋高等裁判所 昭和61年(う)340号 判決 1988年3月16日
主文
原判決を破棄する。
被告人を罰金三万円に処する。
右罰金を完納することができないときは、金二〇〇〇円を一日に換算した期間、被告人を労役場に留置する。
この裁判確定の日から二年間右刑の執行を猶予する。
原審における訴訟費用は被告人の負担とする。
理由
第一免訴の言渡しをすべきであるとの主張について
一弁護人の主張によれば、本件公訴事実は、被告人は韓国籍を有する外国人で昭和五七年一月一一日から同年一一月一三日までの間、札幌市北区に居住していたところ、同月一月一一日札幌市北区長に対し外国人登録法(以下「外登法」という。)一一条一項本文所定の申請(以下「切替交付申請」という。)をした際外国人登録原票(以下「登録原票」という。)及び外国人登録証明書(以下「登録証明書」という。)に指紋を押さず、また、同年一一月一三日同区長に対し外登法六条一項所定の申請(以下「引替交付申請」という。)をした際登録原票、登録証明書及び指紋原紙に指紋を押さなかつたというのであるが、被告人は、同年一月一〇日以前に既に外登法一四条一項前段の規定により指紋を押したことがあり、しかも現在、外国人登録法の一部を改正する法律(昭和六二年法律第一〇二号、以下「今次改正法」という。)が制定、公布され、今次改正法では、切替交付申請と引替交付申請その他との際指紋を押さなければならないという現行外登法の規定は、同規定により既に指紋を押したことがある者には原則として適用されないこととされたから、本件公訴事実を構成する被告人の各所為に対する刑が廃止されたこととなり、更に、今次改正法附則五項の規定は今次改正法の制定の趣旨に照らし無視されるべきものであるから、たとえ、今次改正法が現在まだ施行されていなくても、本件公訴事実について判決で免訴の言渡しをしなければならない、という。
二そこで検討する。
1 一件記録によれば、
(一) 本件公訴事実が、被告人は韓国籍を有する外国人で昭和五七年一月一一日から同年一一月一三日までの間、札幌市北区に居住していたが、同年一月一一日札幌市北区長に対し切替交付申請をした際登録原票及び登録証明書に指紋を押さず、また、同年一一月一三日同区長に対し引替交付申請をした際登録原票、登録証明書及び指紋原紙に指紋を押さなかつた、というものであること、
(二) 被告人は、同年一月一〇日以前に外登法一四条一項前段の規定により指紋を押したことがあることが明らかである。
2 また、現在今次改正法が制定、公布されており、今次改正法では、切替交付申請と引替交付申請その他との際指紋を押さなければならないという現行外登法の規定は同規定により既に指紋を押したことがある者には原則として適用されないこととされたことは、弁護人主張のとおりである。
3 しかし、今次改正法は現在まだ施行されていないから、本件公訴事実を構成する被告人の各所為に対しては、いまだ刑が廃止されていないといわざるを得ず、したがつて、今次改正法附則五項の規定の有効性について検討を加えるまでもなく、本件公訴事実について判決で免訴の言渡しをする余地はあり得ず、弁護人の主張は失当である。
第二本件控訴の趣意について
一本件控訴の趣意は、主任弁護人伊藤公作成の控訴趣意書に、これに対する答弁は、検察官窪田四郎作成の答弁書に、それぞれ記載されているとおりであるから、これらを引用する。
二控訴趣意中、公訴の不法受理の主張(控訴趣意第二)について
所論は、要するに、在日外国人は、外登法一四条一項前段の規定により指紋を押したことのある者でも、切替交付申請と引替交付申請との際、常に例外なく、指紋再押なつをしなければならず、この再押なつをしなかつた者は懲役若しくは禁錮又は罰金に処し、更に懲役又は禁錮及び罰金を併科することができるという制度(以下「再押なつ制度」という。)は、在日外国人がすべて外国人登録制度を悪用するとの「反証を許さない推定」の下に、何ら正当で合理的な立法事実がないのに、単に治安取締りの見地から在日外国人に対し刑罰をもつて指紋押なつを強制しようというもので、これは、憲法一三条、一四条等に反する違憲違法な制度であり、取り分け、被告人のように身分関係の明確な在日韓国人に対しても、「より制限的でない代替措置」という法理(LRA原則)について何ら考慮を払うことなく、無制限かつ一律に指紋押なつを強制している点において、全く必要性と合理性に欠ける違憲違法な制度といわざるを得ず、たとえ、そうでなくとも、少なくとも被告人のような在日韓国人との関係においては、適用違憲と断ぜざるを得ないところ、検察官は、指紋押なつ拒否運動を弾圧し、再押なつ制度の存廃をめぐり法務省寄りと外務省寄りとの間で二分された議論を法務省寄りに導くことを企図し、右LRA原則の観点からの捜査は全く行わないまま、本件公訴を提起し、更に、原審公判手続においても、右LRA原則の観点からの立証を意図的に怠つたうえ、弁護人のこの点に関する立証活動を執ように妨害したのみならず、切替交付申請と引替交付申請とに際しての指紋の再押なつを原則として不要とする今次改正法の立法の動きが顕在化した後も本件公訴を維持したものであつて、本件公訴の提起及びその維持は検察官の職務犯罪に該当するといわざるを得ず、また、仮に、被告人に対してなお再押なつ制度が適用されるとしても、右LRA原則の観点からは、再押なつ制度の合憲性と違憲性との間には明確な一線を画することが困難であるから、本件公訴事実を構成する被告人の各所為の動機とか、被告人の右各所為により被告人やその親族に対する外国人登録行政に支障が生じていないという事情や、被告人に有利なその他の情状に照らせば、被告人に対しては、被告人が右各所為をしたとしても、これについて不起訴処分をするのが相当であつて、本件公訴の提起及びその維持は違法といわざるを得ない、というのである。
所論にかんがみ、一件記録を精査、検討するに、本件公訴事実は前記第一の二の1の(一)のとおりであるところ、本件公訴の提起、及び、それに至るまでの捜査活動や原審訴訟手続における検察官の訴訟活動が所論のような企図や目的でされたものではなく、検察官を含む捜査官側の職務遂行の過程に職務犯罪を構成すると目すべき違法不当な点がなかつたことが明らかであつて、「反証を許さない推定」とか、LRA原則とか、不起訴処分権不行使とかは、本件公訴提起手続の適法性を動かし得るものではない。論旨は理由がない。
三控訴趣意中、理由不備の主張(控訴趣意書第四)について
所論は、要するに、指紋は、万人不同、終生不変であるから、甲者と乙者とが同一人物であることを識別するために最も、有力、基本的、かつ、価値の高い情報を提供するものであり、したがつて、指紋押なつを強制されないという権利は、「自己についての情報をコントロールする権利」としてプライバシーの権利に属し、それ故、合理的理由もないのに指紋押なつを強制することは違憲違法になるところ、この合理的理由の存在については、経済的自由に対する規制の場合とは異なり、検察官が挙証責任を負うべきであるのに、検察官は、法律の合憲性推定の上にあぐらをかいて、右の合理的理由の存在についての挙証責任を果たそうとせず、原裁判所においても、検察官に右の点についての立証を促すというような訴訟指揮をとらず、審理を十分尽くさないまま、指紋押なつ制度は合理的理由があり違憲違法なものではないと判示しているに過ぎないのであつて、原判決には理由の不備がある、というのである。
所論にかんがみ、まず一件記録を検討するに、原審訴訟手続に審理不尽のかどはないといわざるを得ず、したがつて、原判決には審理不尽に起因する理由不備の点はないこととなるし、また、原判決とそれに掲げられている各証拠とを検討してみても、原判決には理由の不備や理由のくいちがいがないものと判断される。論旨は理由がない。
四控訴趣意中、憲法三一条による当然破棄の主張(控訴趣意書第一、第三)について
所論は、要するに、再押なつ制度は、何ら合理的理由もないのに、在日外国人に対し、指紋押なつを強制しようというもので、憲法一三条や市民的及び政治的権利に関する国際規約(昭和五四年八月四日条約七号、以下「国際人権規約B規約」という。)前文、二条、七条、二六条等の各規定に反する違憲違法な制度であり、仮にそうでないとしても、被告人のように在日韓国人として、日本社会の構成員と変わりなく生活している者については、切替交付申請と引替交付申請との際に、指紋押なつを強制してまで身分関係や居住関係を明確にしておく合理的理由は全くなく、少なくとも、それらの者との関係では、再押なつ制度は適用違憲と断ぜざるを得ないところ、右憲法や国際人権規約B規約の各規定について重大な解釈、適用の誤りを犯したうえ、原判示の第一及び第二の各所為をもつて被告人を有罪と認定判示している原判決は、憲法三一条によつて当然破棄されなければならない、というのである。
所論にかんがみ検討するに、原判決は本件公訴事実、すなわち、前記第一の二の1の(一)の事実のとおりの事実を罪となるべき事実として認定判示し、この事実を構成する被告人の各所為が原判決の「(法令の適用)」欄掲記の各刑罰法令(以下「本件諸規定」という。)の構成要件に該当するとして被告人に刑罰を科しているのであるが、所論が掲げる憲法や国際人権規約B規約の各条項の解釈適用の点で原判決に仮に誤りがあつたとしても、このことは、たかだか原判決に法令適用の誤りがあるというだけのことにとどまり、原判決が本件で被告人に刑罰を科したという措置がこの誤りによつて憲法三一条所定の適正手続に違反することにはならない。論旨は理由がない。
五控訴趣意中、事実誤認の主張(控訴趣意書第五)について
所論は、要するに、被告人が原判示第二の引替交付申請をした際、指紋押なつをしない旨の意思を札幌市北区役所係員に表明したところ、同係員は被告人に対し原判示第二の登録原票、登録証明書及び指紋原紙を指し示すことも、これらへの指紋押なつを求めることもせず、ただ単に、外登法に違反するので告発せざるを得ない旨被告人に申し述べたに過ぎないのであるから、被告人が原判示第二の引替交付申請の際登録原票、登録証明書及び指紋原紙に指紋を押なつすることを拒否したことにはならないのであり、また、従前、指紋原紙への指紋押なつは求められていなかつたにもかかわらず、法務省は、原判示第二の引替交付申請の直前に、通達により従前の取扱いを突如変更したうえ、指紋原紙への指紋押なつを求めることにしたものであつて、被告人は、原判示第二の引替交付申請の際指紋原紙にも指紋押なつをすべきものとされていることを知らなかつたものであるから、少なくとも原判示第二の引替交付申請の際指紋原紙への指紋押なつを拒否しようという故意を抱いていなかつたものであり、また、原審で取り調べられた関係各証拠によつては、被告人が原判示第二の所為をしたということを認めることはできないのであるから、被告人が原判示第二の所為をした旨認定判示した原判決には、判決に影響を及ぼすことが明らかな事実の誤認がある、というのである。
所論にかがみ、記録を調査して検討するに、原審で取り調べられた関係各証拠によれば、被告人は、遅くとも原判示第一の切替交付申請時においては、今後外登法一四条一項前段の規定による指紋押なつを一切行うまいと考え、原判示第二の引替交付申請をした際にも申請書を書く段階で、札幌市北区役所戸籍係所属窓口係員に対し、「すいません。今回も押しません。」と述べ、右係員は、被告人が原判示第一の切替交付申請をした際にも、登録原票及び登録証明書への指紋押なつを拒否していたことを知つていたので、原判示第二の引替交付申請をしている被告人に対し登録原票、登録証明書及び指紋原紙を示すことも、これらへの指紋押なつを求めることもせず、直ちに、同区役所戸籍係長に被告人が指紋押なつをしないと言つている旨を連絡し、これを受けた同戸籍係長が被告人に対し、「今回もまた押さないんですか。」と尋ねたところ、被告人は、「法改正があるまで押さない。」旨答えたので、同戸籍係長が「それは、外登法に違反する。我々としては告発せざるを得ない。」と述べたが、被告人は、それでも指紋押なつをする姿勢を示さなかつたという事実、並びに、引替交付申請の際には指紋原紙にも申請者が指紋を押さなければならないという外登法一四条一項の規定は原判示の被告人の各所為の前後を通じ何ら改変がなかつたけれども、外登法一四条一項又は三項の規定により指紋押なつをすべき外国人が既にこれらの規定による指紋押なつをしたことがあり、かつ、前に押なつした指紋と同じ指紋を押なつすることとなる場合は、指紋原紙への指紋押なつを省略できるとされていた取扱いが、昭和四九年四月二三日法務省管登第三三六一号都道府県知事宛法務省入国管理局長通達「指紋原紙に押なつする指紋の省略について」に基づいて昭和四九年八月以降行われており、したがつて、原判示第一の切替交付申請の際にも指紋原紙への指紋押なつは省略されていたが、この取扱いが昭和五七年八月二〇日法務省管登第一一、五〇〇号都道府県知事宛法務省入国管理局長通達「外国人登録事務取扱要領の一部改正について」によつて廃止され、同年一〇月一日からは、指紋原紙にもすべて指紋押なつをするものとの取扱いに変更されたという事実が認められ、右各証拠中右認定を左右し得るものは見当たらず、当審における事実の取調べの結果によつても右認定は動かされない。そして以上の事実関係によると、被告人は原判示第二の引替交付申請の際、故なく外登法一四条一項前段所定の指紋押なつをしなかつたことになるし、また、右指紋押なつのうち指紋原紙へのそれについても、被告人は外登法一四条一項前段の規定による指紋押なつを一切行うまいと考えていたのであるから、右押なつの中に指紋原紙への指紋押なつも含まれていることを知つたとしても、やはりこれをも行うまいと考えていたことになる道理であるから、被告人が指紋原紙への指紋押なつの省略の廃止を知らなかつたとしても、これがために、原判示第二の引替交付申請の際の指紋原紙への指紋不押なつに関する被告人の故意の成立が妨げられるものではないといわなければならない。したがつて、原判決には、所論のような事実誤認のかどはない。論旨は理由がない。
六控訴趣意中、法令適用の誤りの主張(控訴趣意書第三、第六等)について
1 所論は、控訴趣意書第三、第六等を始めとして、控訴趣意書の随所に散見されるところ、本件事案に即してこれを整理するならば、所論は、要するに、再押なつ制度は、以下(一)から(八)までの理由により違憲違法であるのに、これが合憲かつ適法有効であることを前提として、原判示第一の切替交付申請より前に登録原票や登録証明書に指紋を押したことがある被告人が原判示第一及び第二のとおり指紋を押なつしなかつたことをもつて犯罪行為を構成するとし、これが可罰的違法性をも具備することとなるとした原判決には、法令適用の誤りがある、というのである。
(一) 指紋押なつを強制されない権利
指紋は、万人不同、終生不変という特性を持ち甲者と乙者とが同一人物であることを識別する最も、有力、基本的、かつ、価値の高い情報の一つであるから、指紋押なつを強制されないということは、「自己についての情報をコントロールする権利」に当たり、また、万人不同、終生不変の指紋は、犯人究明の有力な手段の一つとして使われているため、指紋押なつを強制された者は犯罪者と同一の取扱いを受けたという屈辱感や不快感を抱き、人格を深く傷つけられることになるから、指紋押なつを強制されないという前述の権利は、個人の尊厳にもかかわつており、この権利の実定法上の根拠は、憲法一三条、国際人権規約B規約前文、二条、七条、二六条に求められる。
(二) 指紋押なつを強制されないという権利に対する制約が許容されるための基準
指紋押なつを強制されないという権利を前記(一)のようにとらえるべきである以上、指紋押なつを強制されないという権利に対する制約は、その権利を犠牲にしてまで守らなければならない具体的な公共の福祉が存在する場合で、かつ、「より制限的でない代替措置」が考えられないとき(LRA原則)という極めて厳格な状況の下で初めて許容されるものであり、しかも、指紋押なつを強制されないという権利に対する制約については、経済的自由に対する制約の場合と異なり、当該規制立法に対する合憲性の推定が働かず、検察官においてその合憲性に対する挙証責任を負わなければならない。
(三) 再押なつ制度と憲法一三条違反
(1) 終戦後間もないころは、当時の窮迫した食糧事情を背景に、配給食料だけでは生活できない在日外国人によつて、窮余の手段として、二重登録等の不正な外国人登録が行われたことはあつたが、その後の食糧事情の好転や、登録証明書の一斉切替え等によつて、昭和三〇年に再押なつ制度の点を包含する指紋押なつ制度が導入されたころには既に、それら不正登録はほとんどなくなり、現在では、新規登録(外登法三条)に際して旅券や出生証明書の提出が必要とされるため、不正登録が起こる余地は全くない。
(2) 外国人に対する不法出入国の取締りは、出入国管理及び難民認定法が目的とする事項であり、外国人に対する出入国管理行政は、外登法とは何ら関係のない事柄であつて、外登法の目的の中には、外国人の不法出入国の取締り及び防止は含まれない。
(3) 再押なつ制度は、外登法により登録されている者と切替交付申請及び引替交付申請をする者との同一性の確認(以下「同一性確認」という。)を目的にしているというが、引替交付申請や切替交付申請の際の市町村窓口における実際の運用を見ると、同一性確認は、登録されている者の写真と申請者本人の写真や容ぼうとの対照によつて行つており、指紋の対比照合は全く行われていないし、市町村の担当職員には、指紋の対比照合の能力がない。
(4) 法務省においても、昭和四五年に指紋原紙による指紋の換値分類を中止し、昭和四九年八月から昭和五七年九月までは指紋原紙への指紋押なつを一定の場合に省略し、市町村から法務省への指紋原紙の送付を取り止めるという取扱いをしていたものであつて、このことは、法務省自身が再押なつ制度によつて採取した指紋を同一性確認の資料として使用していない事実を示すものである。
(5) 切替交付申請と引替交付申請との際に指紋押なつがなされなかつたことのため外国人登録の正確性が多少欠けることになるとしても、これにより損失を受けるのは、行政上のサービスを受けようとする当該在日外国人であつて、仮に国や地方自治体の側にも何らかの損失があるとしても、それは、指導措置や広報活動等によつて当該外国人登録の正確性を取り戻せば足り、そもそも、実際の各種行政は、同一性確認が行われていなくても何ら支障なく遂行されているのであつて、仮に同一性確認をする必要が生じる場合があつても、そのときには、その目的と必要性とに応じて指紋押なつ以外の適宜の確認方法をとれば足り、外国人登録の正確性と公共の福祉との均衡やLRA原則に照らすならば、再押なつ制度を制定し維持することは許されない。
(6) 結局、再押なつ制度は、外国人が外国人登録制度を悪用するとの「反証を許さない推定」の下に、単に治安上の取締りの見地から、在日外国人に対し指紋押なつを強制しようというものに過ぎず、何らの合理性も必要性も有しないのであつて、これが指紋押なつを強制されないという権利を保障する憲法一三条に違反するものであることは明らかである。
(四) 再押なつ制度と憲法一四条違反
再押なつ制度は、前記のとおり、何ら合理性も必要性もないものであり、在日外国人に対してのみ、いわれのない屈辱を強い、合理性のない差別をしようというものであつて、比較法制的に見ても、我が国のように、外国人に対してのみ定期的に繰り返し指紋押なつを求めている国はないから、これが憲法一四条に違反するものであることは明らかである。
(五) 再押なつ制度と憲法三一条違反
再押なつ制度は、前記のとおり、同一性確認の手段として機能していないという実態に照らせば、指紋不押なつ者に対し実質的処罰の必要性もないのに懲役、禁錮又は罰金を科している再押なつ制度は、身分関係や居住関係を明らかにすることを目的とする戸籍法や住民基本台帳法が各種届出義務違反に対して過料の制裁を加えるにとどめていることに比べても、著しく不合理であるといわざるを得ないから、憲法三一条の適正手続条項に反するものであるといわざるを得ないし、更に、指紋不押なつ罪の構成要件に対し法務省通達をもつて変更を加えることを是認しているという点においても、罪刑法定主義に反するものである。
(六) 再押なつ制度と国際人権規約B規約
国際人権規約B規約は、国家主権を制約したうえ、国際的な枠組みの中で人権を保障しようという趣旨に出たものであるから、国際人権規約B規約によつて保障されるべき指紋押なつを強制されないという権利に対する制約を設けている再押なつ制度は、在日外国人が国家の構成員ではないという一事をもつて正当化できるものではない。
(七) 在日韓国人に対する再押なつ制度の適用違憲
被告人は、我が国における居住期間が祖父母、父母の代から継続し、その身分関係や居住関係は日本人と同様に明白であり、しかも、被告人は、過去に既に指紋押なつをしているものであり、LRA原則に照らしても、再押なつ制度によつて同一性確認をする合理的必要性は全くないから、仮に再押なつ制度が全面的に違憲違法でないとしても、被告人に対する関係においては、適用違憲である。
(八) 可罰的違法性
仮に再押なつ制度が違憲違法とまではいえないとしても、前記の諸事情に照らせば、被告人の原判示第一及び第二の各所為は可罰的違法性に欠けるというべきであるのに、この点を看過したうえ被告人について原判示第一及び第二の各指紋不押なつ罪が成立するとした原判決には、法令適用の誤りがある。
2 記録を調査し、原審で取り調べられた関係各証拠と当審における事実の取調べの結果とによつて認められる事実関係を前提として検討するに、再押なつ制度は憲法一三条、一四条、三一条、国際人権規約B規約前文、二条、七条、二六条に反する違憲違法なものではなく、被告人の原判示第一及び同第二の各所為が本件諸規定の構成要件に該当し、右各所為が可罰的違法性を具備しているとした原判決には、所論のような法令適用の誤りはない。論旨は理由がない。所論にかんがみ、以下に説明を付加する。
(一) 本件諸規定による再押なつ制度と憲法一三条
(1) 指紋は万人不同、終生不変であり、甲者と乙者とが同一人物であることを識別するために最も、有力、基本的、かつ、価値の高い情報を提供するものであるから、この情報は、いわゆる肖像権の場合におけると同様、本来個人の自由な管理にゆだねられるべきものであり、更に、万人不同、終生不変の指紋は犯人究明の有力な手段の一つとして使われているという実情の下では、指紋の押なつを強制された者は、あたかも犯罪者と同一の取扱いをされたという屈辱感、不快感ないしは差別感を抱き、個人としての尊厳を害されたと感ずることがあり得る。それ故、指紋押なつを強制されないということは、個人の自由ないし権利として何人にも、したがつて在日外国人にも保障されていなければならず、その実定法上の根拠は、憲法一三条に求めることができる。しかしながら、個人の有する右の自由ないし権利も、公権力の行使から無制限に保護されているわけではなく、合理的必要性がある場合には公共の福祉という見地から相当の制約も受けざるを得ないことは憲法一三条自体に照らし明らかなところである。
(2) そこで次に、右公共の福祉との関連で再押なつ制度の合理的必要性について検討するが、この検討に当たつては、以下の点に留意すべきである。すなわち、指紋は万人不同、終生不変という特性により、甲者と乙者とが同一人物であることの識別の資料になるが、それは単に身体外表面、しかも、そのごく一部の特徴に過ぎず、いかなる場合にも、また、何人に対しても秘匿しておきたいと考えられるような身体的、精神的ないし思想的な秘密にかかわるものではなく、したがつて、例えば刑訴法二一八条所定の場合のように国家が正当な行政目的を実現するために、当該個人に対しその意思に反してでも指紋押なつを求めなければならないという必要性がある場合で、かつ、その指紋押なつ強制の態様が、右必要性との絡みにおいて、合理的であるときには、国家が個人に対しその意思に反して指紋押なつを求めることがあつても、何ら違憲違法の問題が生ずることはないといわざるを得ない。そして、当該個人に対しその意思に反してでも指紋押なつを求めるべき正当な必要性があり、かつ、その指紋押なつ強制の態様が、右必要性との絡みにおいて、合理的であるときは、仮に、指紋押なつを求める代わりに、他の代替措置をもつても再押なつ制度が実現しようという行政目的が達成され得ないわけではないという事情があつたとしても、当該代替措置をとることが容易であり、かつ、これによつて当該個人が受ける自由ないし権利に対する制約が再押なつ制度の場合よりも緩やかであるにもかかわらず、国家において、あえて当該代替措置をとることを否定し、いたずらに指紋押なつの強制に固執しているものではないと認められる限りは、やはり、依然として違憲違法の問題が生ずることはないというべきである。この点、指紋押なつを強制されない自由ないし権利に対する制約が許容されるための基準についての所論は、そのいうところのLRA原則なるものを始めとして、採用の限りではない。
(3) ところで、外国人は、憲法上、我が国に入国し、在留する権利を当然に保障されているものではなく、国際慣習上も、外国人を受け入れる場合に、当該国家は受入れの条件を自由に決定することができるというべきであるが、我が国は、在日外国人に対しても、憲法上、原則として基本的人権を保障しているし、その在日外国人の圧倒的多数はいわゆる定住外国人であることや、我が国が諸外国との友好親善を国是としていること等の諸事情の下で、我が国の社会、経済、政治的事情、国際情勢や外交関係をも考慮して、在日外国人のために種々の行政施策を講ずる等の必要のため、在日外国人を公正に管理していなくてはならないことは当然であつて、現に、つとに外国人登録制度の実施により、在日外国人の居住関係及び身分関係を明確ならしめ、右の管理を実現しようとしてきたのであり、外国人登録制度が正当な行政目的を有することには疑問の余地がない。
(4) そして、在日外国人の居住関係や身分関係を正確に把握し、もつて在日外国人の公正な管理を期するためには、その前提として、登録されるべき外国人を誤りなく特定して登録し、登録された特定の人物が問題となつている人物と同一人物であることを外登法上の切替交付や引替交付の諸制度により保持し、現に在留する外国人が登録されている外国人と同一人物であることを識別し得ることが必要不可欠である。付言するに、外国人の我が国への不法入国の取締りに関しては出入国の管理に関する政令やこれを引き継いだ出入国管理及び難民認定法が設けられてはいるものの、不法入国者による不正な外国人登録(これが現に生じたことがあることは公知の事実である。)が行われるならば、在日外国人の公正な管理に支障を来すことが明らかであるから、外国人の我が国への不法入国を抑止し、ひいては、これら不法入国者による不正登録を防止することも、また、在日外国人の公正な管理という正当な行政目的を実現するために必要なことである。
しかるところ、被告人の原判示第一及び同第二の各所為の時点における再押なつ制度の内容について、本件に関連する限度で概観するならば、我が国に一年以上在留し又は在留する予定の一六歳(原判示第一の所為の時点では、一四歳)以上の外登法二条所定の外国人は、新規登録申請(外登法三条)の際の指紋押なつの後、五年(原判示第一の所為の時点では、三年)ごとに一回の切替交付申請の際と引替交付申請の際とに、それぞれ、写真の提出のほかに、登録原票と登録証明書と指紋原紙(原判示第一の所為の時点では、前記五のとおり、原則としてこれを除く。)とへの指紋押なつをしなければ、一年以下の懲役若しくは禁錮又は二〇万円(原判示第一の所為の時点では三万円)以下の罰金に処し、更にこの者には懲役又は禁錮及び罰金を併科することができるとされていたのであり、この再押なつ制度は新規登録の際に押なつされた指紋と切替交付申請や引替交付申請の際に押なつされた指紋とを対比照合する態勢を整えることなどによつて、同一性確認を図り、その一環として外国人の我が国への不法な入国や残留を抑止するとともに、不法入国者ないし不法残留者による不正登録をも防止しようという機能を果たすべく設けられたものであり、この再押なつ制度が在日外国人の公正な管理を図るという外登法の正当な行政目的実現のために必要であることは明らかといわなければならない。
(5) この点、市区町村や法務省入国管理局登録課には、指紋鑑識の専門技官等が配置されていないけれども、原判示第一の切替交付申請及び同第二の引替交付申請の当時、外国人登録法の指紋に関する政令等により、再押なつ制度における指紋押なつ方法は、原則として、左手人さし指につき回転指紋方式(現在では、平面指紋方式)によるとされていたし、登録原票への押なつは前回押なつされた指紋のすぐそばになすこととされていたものであつて、このような方式によつて採取され、かつ、その指紋存在場所が近接している指紋相互の同一性の判定は、犯罪現場などに遺留された指紋がどの指のどの部分の指紋であるかということの不明確な場合と異なり、さほど困難な作業ではないから、再押なつ制度が同一性確認について果たしている機能が否定されることにはならない。
(6) 昭和二二年制定に係る外国人登録令施行により発足した外国人登録の際、戦後の混乱期という状況に併せて、登録に当たつての当該外国人の特定や登録証明書の切替等に当たつての当該外国人の同一性確認を写真等の手段にのみ依存した結果、二重登録等の不正登録が続出していたけれども、その後再押なつ制度を含む指紋押なつ強制規定が設けられるに至り、それ以来、不正登録の数が減少するに至つたところ、この不正登録の減少については、所論の食糧事情の好転や登録証明書の一斉切替等の事情もあずかつていたものと考えられるが、他面、再押なつ制度による同一性確認が強化されたということが、外国人の我が国への不法な入国や残留を抑止し、ひいては、不法入国者ないし不法残留者による不正登録を防止するのに大きな役割を果たしていたという側面も決して無視することができないものと考えられ、再押なつ制度の有する如上の抑止効果は、我が国への不法入国者ないし不法在留者の数が昭和五七年ころには既に年間数千人を超えていたという情勢にかんがみれば、なお重視しなければならないものと考えられる。
(7) 法務省においては、昭和四五年に、それまで行われていた市区町村からの送付に係る指紋原紙の換値分類作業を停止し、また、前記五のとおり、外登法により指紋押なつをすべき外国人において既に外登法一四条一項又は三項の規定による指紋押なつをしたことがあり、かつ、前に押なつした指紋と同じ指紋を押なつすることとなる場合は、指紋原紙への指紋押なつを省略できるとされていた取扱いが昭和四九年八月から昭和五七年九月まで行われていたが、それらの事実が存在したからといつて、再押なつ制度、すなわち、新規登録の際に押なつされた指紋と切替交付申請や引替交付申請の際に押なつされた指紋とを対比照合する態勢を整えることなどによつて、外国人の我が国への不法な入国や残留を抑止するとともに、不法入国者ないし不法残留者による不正登録を防止しつつ在日外国人の同一性確認を図るということ自体を法務省が変更又は放棄したことにはならないといわなければならない。
更になお、引替交付申請や切替交付申請の際の同一性確認が市町村窓口では登録されている者の写真と申請者の顔や写真との対照によつて行われているという所論のような実状が事実上存在するにしても、再押なつ制度それ自体は、なお維持され、前記(4)のとおりの機能を発揮していることには変わりがないといわなければならない。
(8) そこで進んで、再押なつ制度における指紋押なつ強制の態様がその立脚する前記の必要性との絡みで合理的であるか否かについて検討するに、原判示第一の切替交付申請と同第二の引替交付申請との当時における指紋押なつの方法は、原則として、左手人さし指のみにつき、回転指紋方式によるとされていただけであり、また、その強制の方法も、不押なつに対しては前述の刑事罰で臨むという間接強制だけにとどめていることと、前記のとおり、指紋は、単に、身体外表面、しかも、そのごく一部の特徴に過ぎず、それ以上に、当人においてどのような場合でも、また、何人に対しても秘匿しておきたいと考えるような身体的、精神的ないし思想的な秘密にかかわるものではなく、かつ、在日外国人としても、指紋押なつによつて、最終的には自らが不法入国者ないし不法在留者でないと確認されることとなるということとにかんがみると、在日外国人が再押なつの制度の下に如上の指紋押なつをすることは、当該外国人が正当に我が国に在留することに伴う当然の負担の限度を超えるものではないというべきであり、再押なつ制度の態様が合理的であることは明らかといわなければならない。
(9) 同一性確認のために、再押なつ制度よりも緩やかな手段、例えば、切替交付申請と引替交付申請とをする申請者の容ぼう写真を用いるという手段が絶対に不可能であるとまでは考えられないが、他方、容ぼう写真による同一性確認には、容ぼうが最近進歩の著しい整形手術や年齢、髪型等によつて変わることがあり得るし、他人の空似、更に、写真の張替え等による登録証明書等の偽造変造の可能性があるという諸点がつきまとうことも事実であるので、それらの諸点を克服するに当たつては、在日外国人に対して別の形で新たな負担を負わせる結果が生ずることにならないか否か、また、それらの諸点の克服のための技術的、人的、予算的手当てが可能か否か等について慎重に見極める必要があり、その意味では、同一性確認のために、再押なつ制度に対する代替措置として、当該外国人の容ぼう写真を用いるか否かという問題は、立法府の裁量に任されており、原判示第一と同第二との各所為の時点で、この問題につき国家がいたずらに、かつ所論のような「反証を許さない推定」の下に、再押なつ制度に固執していたものではないというべきであり、単に、再押なつ制度に対する代替措置が考えられないではないという一事をもつて、再押なつ制度が排斥されるべきであるとの結論になるものではない。
(10) なお、前記のとおり、今次改正法によれば、従前は、切替交付申請や引替交付申請の際にも、一六歳以上の外国人であれば、登録原票、登録証明書及び指紋原紙に、一律に指紋押なつすべきものとされていたことが改められ、当該外国人が既に外登法一四条一項の規定による指紋押なつなどをしたことがある場合には、「登録されている者と当該申請に係る者との同一性が指紋によらなければ確認できない場合」等の一定の事由があるため市町村長から指紋の押なつを求められたときを除き、更に指紋押なつをする必要がないこととなるが、右改正は、指紋押なつを不快とする外国人の心情を慮り、あえて指紋押なつ義務の範囲を緩和したものに過ぎず、右改正の内容それ自体、すなわち、右の「登録されている者と切替交付申請や引替交付申請に係る者との同一性が指紋によらなければ確認できない場合」等の一定の事由がある場合には再押なつ制度が維持されていることに照らして明らかなように、右改正によつても、指紋の対比照合をする態勢を整えておくことなどによつて、同一性確認を図るという再押なつ制度の所期の前記(4)の機能には基本的な変更が加えられたわけではなく、右改正は、写真及び登録原票の記載事項の照合に加え、出頭した人物に対する質問その他市町村長の調査権の積極的活用によつて、指紋の押なつ義務の範囲を緩和した点を補うことを前提にしているものと考えられ、加えて、原判示第一及び同第二の被告人の各所為の時点では、指紋転写装置が整備されていなかつたのであるから、切替交付申請と引替交付申請との際における指紋の押なつを原則的に不要とする今次改正法が制定、公布されたという一事をもつて、原判示第一の切替交付申請や同第二の引替交付申請の時点での再押なつ制度は、在日外国人に対し、切替交付申請や引替交付申請の際に不必要かつ不合理に、また、所論のような「反証を許さない推定」の下に、指紋押なつをさせていたものであつて、指紋押なつを強制されないという自由ないし権利を侵害する違憲違法なものであつたということはできない。
(11) 以上の次第で、本件諸規定による再押なつ制度には、憲法一三条に反する点はない。
(二) 本件諸規定による再押なつ制度と憲法一四条
前記のとおり、再押なつ制度は必要かつ合理的な制度であるから、外国人には、そもそも、我が国に入国しその後在留する当然の権利はなく、外国人を受け入れるかどうか、また、外国人を受け入れるときに、どのような条件を付するかについては、基本的に、我が国の広範な裁量に任されていることとの関連において、この再押なつ制度の下で、外国人のみが指紋押なつをさせられるという結果になつても、外国人に対し不合理な差別を強いるものでないことは自明のことである。したがつて、本件諸規定による再押なつ制度には、憲法一四条に反する点はない。
(三) 本件諸規定による再押なつ制度と憲法三一条
前記のとおり、再押なつ制度は必要かつ合理的な制度なのであるから、指紋不押なつ罪が実質的処罰の根拠を欠くものでないことは自明のことであり、他方、指紋不押なつ罪に対する処罰は、懲役、禁錮又は罰金あるいは懲役又は禁錮及び罰金の併科であるのに、日本人の身分関係や住居関係の明確化にかかわる戸籍法や住民基本台帳法が各種の届出義務違反に対して過料の制裁を設けているにとどまることは、確かに所論のとおりであるが、そもそも日本人には、外国人と異なり、我が国に居住する本来的権利があるうえ、日本人と外国人との間には、一般的に、我が国社会に対する密着性の程度において格段の相違がある以上、外国人による指紋不押なつの所為と日本人による戸籍法や住民基本台帳法の各種の届出義務違反の所為との間に、所論のような処罰の相違があつても、これが著しく均衡を欠いたものとは到底いうことができない。また、外登法による指紋不押なつ罪の構成要件が罪刑法定主義にもとるという点も、何ら見いだすことができない。したがつて、本件諸規定による再押なつ制度には、憲法三一条に反する点はない。
(四) 本件諸規定による再押なつ制度と国際人権規約B規約
前記のとおり、およそ国家は、国際慣習上、外国人を受け入れる義務を負つているわけではなく、条約がある場合を除き、外国人を受け入れるかどうか、また、外国人を受け入れるときに、どのような条件を付するかについても、当該国家の自由裁量に任されているのであつて、国際人権規約B規約もこの裁量権を容認しているものと考えるべきであるから、外国人が我が国に在留するのに伴い、前述のように合理的必要性を有する再押なつ制度の下に、指絞押なつをさせられるとしても、国際人権規約B規約に違反する事態が生じるものとは到底考えられない。したがつて、本件諸規定による再押なつ制度には、国際人権規約B規約に反する点はない。
(五) 在日韓国人をも指紋再押なつ制度の対象とすることの合憲性
被告人は我が国にいた祖父を頼つて昭和五年に来日した祖母が産んだ父とその妻との間で我が国で出生した後引き続き我が国に在留し、かつ我が国に永住することを許可されている韓国人であるが、かように我が国への密着性の高い在日韓国人が多数存在することは、所論のとおりであるが、他面その密着性の程度は、在日韓国人という一事をもつては一律に論じることができないのみならず、被告人を含め、在日韓国人も法律的には、外国人であることに変わりがない以上、いかなる在日外国人を定住性の強度な者ととらえ、その同一性確認について、他の在日外国人と異なる取扱いをするかということは、国内の状況のみならず、国際情勢や当該外国人の母国との外交関係等を十分考慮したうえ、国益保持の見地から立法府において合目的的な裁量権を行使して決定すべき事項であり、在日韓国人の我が国への密着性という一事で例外的取扱をすることは、在日外国人相互間の差別を設けることにもなりかねないと考えられる。したがつて、被告人のような在日韓国人をも再押なつ制度の対象に含めても、所論のような適用違憲の問題を生じることはないといわなければならない。
(六) 可罰的違法性について
被告人の原判示第一及び第二の各所為の当時における再押なつ制度は同一性確認の手段を確保したうえ在日外国人の公正な管理を図るという外登法の正当な行政目的を実現するために必要かつ合理的なものであり、何ら違憲違法な点はないのであるから、原判示第一の切替交付申請の際及び原判示第二の引替交付申請の際に、指紋押なつを一切拒否したという被告人の所為についての違法性を阻却する特別の事情が何もない以上、被告人の原判示第一及び第二の各指紋不押なつの所為が何ら可罰的違法性に欠けるものではないことは明らかである。
七控訴趣意中、量刑不当の主張(控訴趣意書第七)について
所論は、要するに、仮に本件諸規定による再押なつ制度が違憲違法とまではいえないとしても、今次改正法によつて、切替交付申請や引替交付申請等に際しては、原則的に指紋の押なつの必要がないと定められたということからも明らかなように、本件諸規定による再押なつ制度は不当なものであり、被告人はその不当性を問うために原判示第一の切替交付申請の際及び第二の引替交付申請の際の各指紋不押なつの所為に及んだものであることに照らせば、原判決の量刑は、重過ぎて不当である、というのである。
そこで、記録を調査し、当審における事実の取調べの結果をも参酌して検討するに、前記のとおり、原判示第一及び第二の各所為の当時における再押なつ制度は、同一性確認の手段を確保したうえ在日外国人の公正な管理を図るという外登法の正当な行政目的を実現するために必要かつ合理的なものであり、何ら違憲違法な点はないのであつて、それにもかかわらず、被告人は、あえて原判示第一の切替交付申請の際及び原判示第二の引替交付申請の際の各指紋不押なつの所為に及んだものであり、しかも、その動機は、単に、切替交付申請や引替交付申請等に際しての指紋の押なつに反対するという今次改正法に沿つた主張をする点にとどまつていたわけではなく、外登法一四条による指紋押なつのすべてに反対することにあつたのであり、これを容認するわけにはいかない。したがつて、被告人が我が国で出生した後引き続き我が国に在留し、かつ我が国で永住することを、許可された外国人(在日韓国人)であることを考慮しても、被告人を罰金三万円(換刑処分日額二〇〇〇円)の実刑に処した原判決の量刑はその宣告時においては、相当であり、これが重過ぎて不当であるとはいえない。論旨は理由がない。
第三原判決後の事情による原判決の職権破棄
当審における事実の取調べの結果によれば、原判決後に今次改正法が制定、公布されるに至り、かつ、右制定に際し、衆議院において「指紋押捺拒否者に対しては制度改正の趣旨を踏まえ人道的見地に立つた柔軟な対応を行うことについて政府は格段の努力をなすべきである。」という点を内容とする附帯決議が、参議院において「現行外登法下における指紋押なつ拒否者に対する刑事上の措置に関しては法改正の趣旨及び具体的事情を勘案し人道的立場に立つた柔軟な対応を行うことについて政府は格段の努力をなすべきである。」という点を内容とする附帯決議が、それぞれされたものであるところ、いまだ今次改正法が施行されているわけではないが、今次改正法によれば、今後は、本件のような切替交付申請や引替交付申請に際しては、原則として、指紋押なつをする必要がなくなるのであり、しかも、右改正の動機は、指紋押なつを不快とする外国人の心情を慮つたことにあるというのであつて、被告人の原判示第一及び第二の各指絞不押なつの所為も、これと同様の心情に出たものであることは間違いないところであるから、原判決第一及び第二の各犯行に対する被告人の刑責も今次改正法の制定公布と前記各附帯決議の存在とにより影響を被らざるを得ないものと考えられる。この意味で、原判決の量刑は、現時点においては、罰金刑を選択した点や罰金額の点においてはともかく、その刑の執行を猶予しなかつた点において、重過ぎるに至つたものと認められ、これを是正するために原判決を破棄するのが相当である。
よつて、刑訴法三九七条二項により、原判決を破棄し、同法四〇〇条但書により、当裁判所において更に判決する。
原判決が確定した事実にその摘示する処断刑を出すまでの法条(刑種の選択を含む。)を適用して、その罰金額の範囲内で被告人を罰金三万円に処し、刑法一八条一項により、右罰金を完納することができないときは、金二〇〇〇円を一日に換算した期間、被告人を労役場に留置し、同法二五条一項、罰金等臨時措置法六条により、この裁判が確定した日から二年間右罰金刑の執行を猶予し、原審における訴訟費用は、刑訴法一八一条一項本文により、これを被告人に負担させることとする。
以上の次第で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官山本卓 裁判官油田弘佑 裁判官向井千杉)